先週の日曜日、大臣が酩酊状態で記者会見をした日のことです。
私は交差点で赤信号が青になるのを待っていました。同じように待っている人は10人くらいいたと思います。そこにサイレンを鳴らした救急車がやってきました。徐行したため、もうすぐ交差点に入るというところで信号が変わりました。
緊急車両ですから、私は動かずに立ったままでいたのですが、他の人は何事もなかったかのように交差点を渡り始めました。しかたなく救急車のほうが止まりました。みなさん耳が遠いんでしょうか? イヤホンの線がのびている人もいましたが、のびていない人もいました。サイレンの音は雑踏の中の雑音に成り下がり、全員が脇目もふらず前に向かって歩いているのです。誰も救急車を意識していません。
そして、人混みが切れかかり、救急車もやっと進めるかなとブレーキをゆるめた瞬間、なんと!動き出した救急車の前を、身体をねじらせながら横切っていく人がいました。長い髪の女性でした。サイレンを鳴らしている救急車の中には一刻を争う急病人や怪我人がいる、もしくは、一刻も早く来て欲しいと待っている人がいるという「事実」はいったいどこに消えてしまったのでしょう? もしくは緊急車両よりも緊急な事態でもあるというのでしょうか?
あまりに突然のことで、「コラー、救急車だぞ、みんな止まれ!」と大声を出すよりも、もしかしたら自分はSF映画のように、パラレルワールドに紛れ込んでしまったのかもしれないという思いが先に立ち、恐ろしくなってしまいました。自分が海外に行っている間に、日本人はロボットか何かに入れ替わったのかもしれません。
かたや救急車をタクシー代わりに使う人がいて、かたや救急車に注意を払わない人がいる。はたまた緊張感なく記者会見に臨む大臣がいる。ルールやモラルがなく、自分のことしか考えていない人が集まった集団(烏合の衆)ほど弱いものはありません。秋葉原通り魔事件が再び起こりうる素地を感じ、空恐ろしくなりました。
せめて「緊急車両に道を譲る」という最低限のルールは守って欲しいと思います。それがいい加減になったら社会が成り立たないからです。ここでいう社会というのは、突然の緊急事態に対処する集団という意味です。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、JR福知山線脱線事故。災いは突然やってきます。いつ自分が巻き込まれるかは誰にもわかりません。でも巻き込まれたときは、周りにいる人と協力して対処するしかないのです。
緊急事態はいろんな形で突然降りかかってきます。それに対処し進化してきたのが人間であり、自分もその一員なんですから、やっぱりルールは守らないといけません。それを忘れたら、滅びてしまいます。
なにをやってもいいけれども、最低限のルールは守り、ひとたびなにか起これば、一致団結する社会であるためには、どうすればいいか? それは自分がガミガミ親父になることだと思いました。憎まれ役をやる。「最低限のルールは守ろう」と若い人に声をかけていく。もちろん、自分の気も引き締めていかないといけません。もう一度同じ光景に出会ったら、次回は必ず怒鳴ります。
1 コメント:
ゴンさんへ
英語版XPのPCを日本語化するときに、ゴンさんには大変お世話になりました。 有り難うございます。
今の日本にガミガミ親父は必要だと思いますが、最近はすぐにキレる頭のおかしい人も増えているようですので、怒鳴るときは用心して下さいね。
Edamameより
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